斜平山は、いわば吾妻山から張り出した広葉樹の小さな岬のようなもので、連続する森林をたどって動植物が豊かに入り込んでいます。植物400種、鳥100余種、国蝶オオムラサキ、戸川幸夫「吾妻の白さる神」の白いニホンザルをはじめとした哺乳類など、生活圏のすぐ近くで深山の生物に親しめる稀有な環境です。
 地形でまず目につくのは屏風を立てたように南北にそびえる急傾斜地で、これは断層による地形です。その下の緩やかな森は断層崖から崩れ落ちた土砂が積もったものです。深く入る「おその沢」は山塊が裂けた地溝であることが最近分かってきました。ウニや小型のホタテなど海産貝類の化石がひろえます。
 斜平山の周りには寺や神社が多く、巨木があるなど聖地として守られてきました。周回コースの外側にも視野を広げれば、小野小町伝説や貴重な縄文遺跡、伊達政宗や支倉常長にゆかりの史跡まであって、学習資源の豊富さに驚くばかりです。 教材化・学習プログラム化が待たれます。

 さらに焦点を絞って注目したいのが“山裾”です。斜平山の東南部にある芦沢地区は、古くから共同体的な生活の場であったと思われるますが、中心となる道路が計画的に変更されたために生活基盤となる土地利用にも変化がもたらされたようです。今も雑木林やカジカが泳ぎサワガニの遊ぶ沢が残り、草原でタカが狩りをする自然豊かな場所が残っています。市民の憩いの森として整備されている西向沼が、窪地をせき止めて作ったものでじゅん菜を採っていたことや、もともと芦沢地区から沼までの直登路があり、それが屋根を吹き替える萱の管理のためにあったことなど、自然と生活が強く結びつきその中で人々が協働する、ここならではの様子が分かってきました。
 「たがでら」と呼ばれた長泉寺は、昔はもっと頂上付近にあって修行寺だったという言い伝えがあります。何度か崩れて建て替え徐々に高度を下げてきたとの伝承で、そのどれかが1つの本堂と6つの僧堂(修行用か)を持つ「ななでら(七寺)」だったのではないでしょうか。「なだらか」説、「なだれ」説もある斜平山由来論争に決着がつく気配も出てきました。